本日のブログは
人気作家 山本文緒さんの遺作である無人島のふたりの読書レビューです。読んだ一番の感想は、病への冷静な向き合い方に潔さを感じたのと同時に一方で、余命宣告受けずに希望を胸に生きぬく道もあったのではないか?と考えてしまったことです。
無人島にふたりでよかった!
山本文緒さん(58)画像等はこちら
『自転しながら公転する』 『恋愛中毒 (角川文庫)』などの作品で知られる人気作家でしたが、突然の病魔に襲われます。
2021年春、膵臓がんで余命半年との宣告を受け、約半年後の10月に惜しくも天国に召されてしまいました。
無人島のふたりは余命宣告を受けてから亡くなるまでの日常を綴った山本さんの今生に別れを告げる本となりました。
無人島のふたり(楽天ブックス)
まずは
本のタイトルが絶妙な事、この上ないですよね。抗がん剤で進行を抑えること以外に治療法がないという病にかかり、しかも余命を宣告されたことは、人生のシャッターをいきなり下ろされ世間から閉ざされた場所に1人置き去りにされてしまったようなものであります。
それを無人島に流されてしまったと例えたわけですが、幸いにも山本さんは無人島のふたり、と言い切っている。
ひとりじゃなかったことが涙が出るほど嬉しく思います。
どれほど山本さんの悲しみを我が悲しみとし、共に涙し共に歩いてくれる旦那さまであったのかタイトルがすべて伝えてくれています。
寿命は誰にもわからないもの
膵臓がんステージ4bという進行の状態を知るところまでは、やむを得ないとして、その後の余命告知については、ひとまずワンクッション置く必要があり、決して急ぐべきではないと思うのですがどうでしょう?
なぜなら、私も進行がんと告げられた経験があるので言えるのですが、検査の結果、癌という診断を受けただけでかなりの衝撃をくらうんです。それだけでショック!!
痔だと思ってたらまさかの進行癌だったという記事はコチラ↓↓↓
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進行癌と診断されただけでものすごくショックなのに、これに状況が厳しいこと、転移がありステージ4であることの情報が加われば、なおさら自分に起こっている事態を受け入れるのがたやすいことではないはず。
そこに早々に余命告知までされたら…。
後々、どうしても余命を知りたいと思うのであればその時に聞けばいいのです。告知を受けるのかどうかはよくよく考え検討に検討を重ねて慎重に決断したほうが良い気がいたします。
こちらが聞きもしないのに、勝手に余命を言ってくる医師も少なくないようですが言語道断です。絶対それはダメ!!
山本さんの場合、ご本人が余命があとどのくらいか直接尋ねられたので、医師はそれに応えて予後を伝える形となりました。
そしてさらに6月にはセカンドオピニオンで足を運んだ国立がん研究センターの医師から、その時点であと余命4ヵ月と告げられました。
あくまでもデータ上のことです、と医師は余命を告げる際によく付け加えるようですが、人としてもうひとこと付け加えて頂けたら有難いな〜という言葉があります。
寿命(余命)なんて
誰にもわかりませんよ。
神のみぞ知るですよ?と…
そのひとことがあるのとないのとでは、天と地ほどの影響力を患者に与えるのではないかな。たとえ残りの日々が半年、4ヵ月であっても、
心に希望という光があるのとないのとでは生き方が違ってくるような気がします。
人はなんのために余命宣告を受けるのか?
余命宣告って、いる??
やり残したことをしたり、身辺整理したり、会いたい人に会えるように必要なんじゃない??
そんなの別に余命宣告受けなくてもできることじゃん?
死を受け入れる心の準備とか??
死刑宣告受けて執行日を待つために準備が必要ってこと?そんな準備、心がやられてしまうだけだと思うな~
なーんてこと言ってる私も以前は、余命を知ることで身辺整理や、あらゆる準備ができるから知らせてほしいと願う余命宣告賛成派でした。
でも実際に自分がガンを経験して180度変わりました。
人にとって一番大切なものは希望というものだと知ったからです。希望はどんな状況にあっても自分次第で得られることも知りました。
ステージ4かも知れないという状況でも得ることのできた希望について書いたブログはこちら↓↓↓
近藤誠◆ガンは手術や抗癌剤しないほうが長生きできる?賛否両論あれど希望の光を頂きました
本日のブログ 著書『患者よ、がんと闘うな』で有名な医師近藤誠さん。 抗がん剤は増がん剤、手術するとガンが暴れる…。その独自の理論は、ガンの標準治療に何の疑問も持たずにいた我々に大きな衝撃を与えました。 ...
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ステージ4という深刻な病状であれば尚更、どうせ死ぬのだと下を向いて暮らすより、人間の寿命なんて誰にもわかりはしないんだ、この先も命が続いていくかもしれないじゃないか、と希望を胸に日々過ごすほうが絶対、精神衛生上良いと思います。
少なくとも私は自分が進行がんと告げられた後、ステージ4かも知れない、と思いながら約1か月間過ごした悶絶の日々の中でそのように思いました。
このタイミングで宣告とは…
今日は思いがけず一つのピリオドとなった日だった、と山本さんが記した9月3日のこと。
緩和ケアクリニック医師が訪問診療に来た際、2リットルもたまった腹水を、シリンジのようなもので抜いてくれた下りの描写が印象深い。
ものすごく体が軽く楽になったと喜ぶ山本さん。
もしそのあと何事もなく医師や看護師を見送ることが出来たなら…。
腹水からようやく解放されて安堵し、しばらくは嬉しい気持ちで日々を過ごせたかも知れません。希望の光でもあったと思います。
でも腹水処置のその後に、
お医者さまから残り時間についてお話があり、あと週単位で時間を見るようにと言われるわけです。会いたい人に会ったり、やり残したことをした方がいいかもしれないと。
お腹が楽になったと喜んでいた山本さんも旦那さんも固まった、と書いてありました。
そりゃあそうだと思います。何もその時でなくてもよかった気がしますし、楽になったと喜んでいるご本人の前で告げるのどうなんだろう??…という感じがします。
でも一応、医師もお話してもいいですか?と前置きして確認はしておりますので、
医師の話を聞かないという選択もあったのですが、この場面では聞かないほうが難しい状況だったと言います。
もしあと週単位と、その時耳にしなければ、少なくともそれこそ週単位で、穏やかな気持ちで身も心もラクに暮らせたのではないか??
一度二度ならず3度も死刑宣告受けるのはつらすぎると思ってしまいました。
この日は思いがけずピリオドとなったと日記に記した山本さんの気持ちを想像しただけでたまらない思いでいっぱいになります。
ピリオドとは終わりということです。山本さんはご自分の命の終わりが来てしまったと無情にも知らされてしまったのです。生きることをそんなふうに断ち切られるなんて、どれほど打ちのめされ恐怖におののいたことかと思います。
ただ、山本さんは作家としての大事なお仕事を持っていましたので段取りを考えて組んでいかないと、いろいろな方に迷惑がかかるということを1番に考えて、
あえてご自分の余命を聞くことにしたのかもしれません。それも勇気あることであるには違いありません。
無人島にひとりになった瞬間
無人島にふたり、で助け合って暮らしていた著者と旦那さんでしたが腹水を抜いてもらった後に、思いがけず告げられた週単位という残り時間。
その直後のことです。あまりのショックで蒼白になった旦那さんが山本さんに申し出ました。
「ごめん。本当に悪いんだけど、ちょっとだけ飲みに行きたい。1人になって落ち着いてくる」と言って、飲みに出かけてしまいます。
一瞬、山本さんは無人島にひとり取り残された気分になってしまったのかもしれません。
近いうちに本島に帰るであろう夫のうしろ姿を、たまさか山本さんはひと足先に目にしてしまうことになったのです。
心の準備のないまま耳にしてしまった週単位の余命宣告が、もしご本人の前でなされていなければ、山本さんは夫が無人島を後にする姿を目にすることなく想像にとどめるだけで済んだのかもしれません。
山本さんはきっと無人島にふたり、取り残されたかったはず。1番辛くて苦しい時に無人島でポツンと1人きりになってしまいました。
でも近くの焼き鳥屋で30分だけ1人で飲んで落ち着き、山本さんに手羽先焼きとおにぎりを買って帰宅した夫の心情に理解を寄せ、何事もなかったかのように何という賢人と明るく書き添える優しさと思いやりを見せました。
そんな心優しく思慮深い山本文緒さんには、辛い逆境にあっても、何より希望という光を持たせてあげたかったと切に思います。
そして、
希望と勇気と積極性をもって毎日を過ごさせてあげたかったし、命の火を熱く熱く燃やしてほしかった。
ただ、先ほども申しました通りお仕事がらみのご事情があっての責任感。これがあったが故に余命を聞かないという選択が難しかったのだとお察しします。
山本さんには山本さんのご事情があっての意思選択ですので尊重されなければなりませんし、会社を経営してるとか大事な仕事を任せられている方とか、一家の大黒柱として生計を立てているお父さんやお母さんなどなど、その他様々な事情や人生観を皆さんお待ちですよね。そこはしっかり理解しております。
ただ、お別れの準備期間がありすぎるほどあり、とても長い期間お別れについて考えた気がする、と山本さんはおっしゃっていました。
先の未来を断ち切られると、いかに人は希望を失ってしまい、お別れのことばかり考えたり消極的人生を送ってしまう可能性が高いことか…。
なのでやっぱり
余命宣告ってどうよ??
いる??って思ってしまうのです。
がんになって、自分には未来がないのかも、という極限を味わった者としてひとつ言えるのは、人間にとって希望ほど必要なものはないということ。
たとえ結果として亡くなろうとも、最後の1秒までは生きてるんだから、希望を胸に最後の1秒まで生き抜きたい、
この先、何があろうとも絶対に希望を手離すことなく私は生きていきます。余命宣告受けた方々も希望の光を胸に灯して生きていきましょう!!と声を大にして伝えたいです。
明日また…という言葉
山本文緒さんが、もし自分から余命告知を求めたりしなかったら…。最後の1秒まで希望を胸に生きられたのではないでしょうか。できれば希望の光を胸に暮らさせてあげたかったと切に思います。
でも死期が近づいてきていても日記の終わりに明日またと記しておりました。絶望だけではなかったのだと力強さまで感じられる明日という文字でした。
私にとって、そこが大きな救いとなりました。山本さんは山本さんなりに最後の最後まで作家として全力で生きぬいて旅立たれたこと心から尊敬申し上げます。
大事なこと
未来のことは誰にもわからない。
余命なんて誰にもわかりやしない。病気に負けてたまるか!の気持ちと勇気で向かって行くことがとっても大事。
もし余命宣告受けなかったら、
山本文緒さんの無人島のふたり、はどんなタイトルに変わっていたのでしょうね。山本文緒さん素敵な作品をたくさんありがとうございました。
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